楼門をくぐり、道中の神楽殿で展示されていた模型に童心をくすぶられておりました。
さて、ここら先は国宝に指定された「社殿」から、徳川家康が眠る「神廟」までをご紹介します。
国宝に指定された社殿(本殿・石ノ間・拝殿)
さて、神楽殿を後にして道なりに進んでいくと社殿の入り口があります。
上の写真はその社殿入り口を拝殿側から撮影しました。
社殿は「本殿」・「石の間」・「拝殿」の三棟で構成されており、手前側の拝殿と奥部の本殿を石の間で接続する構造となっており、これらは当時最高の技術と芸術がふんだんに使われているとのこと。
また、これら社殿は元和3年(1617年)に落成。江戸時代初期に造られた神社の建築様式である「権現造」の原型といわれており、2010年12月に国宝に指定されました。
社殿に入って最初に見えるのは「拝殿」。この後ろに「石の間」、「本殿」と続いています。
拝殿の脇には社殿(本殿・拝殿・石の間)が国宝に指定されたよ~という立て札がおいてありました。
拝殿の中には木で彫られた徳川家の家紋がおいてあります。中は立入禁止なので、ギリギリのところで撮影。
拝殿の反対側にある唐門から今まで通った道を見ることができます。
拝殿を十分堪能したあとは拝殿左側にある通路に行きます。
こちらは本殿の順路側(西側面)です。
カメラのスペックと私の撮影技術が低いせいで良さをあまりアピールできてませんが、色鮮やかな装飾が至る所になされており、派手さと華やかさがあります。
このような装飾が400年前に施されて、現在もほぼ変わらない状態で存在しているということに驚きを禁じ得ません。
さすが国宝に指定されるだけのことはあります。なんというかもう美しすぎて欲しいくらい。
本殿の西側が順路となっており、廟門(びょうもん)という名前の門をくぐって先に進みます。
廟門をくぐったあとに振り返って見るとこんな感じ。門一つ見ても実に豪華な造りです。
廟門の屋根はこのようになっています。
廟門をくぐった先にある石段を登ったら再びくるりと振り返って撮影。なんだか千と千尋の神隠しとかに出てきそうな風景です。
徳川家康の遺骸が埋葬されている「神廟」へ
廟門を通過して、石段を登ると先程の廟門と徳川家康公が眠る「神廟」を結ぶ廟所参道に差し掛かります。
通路の両脇には家康に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が据えられてます。
廟所参道を通過した先にある石段の途中から振り返って撮影。
廟所参道を進み、石段を登った先にはまた鳥居があります。
この鳥居も反対側から撮影。
鳥居にしろ廟門にしろ、撮影する方向を変えるだけで風景がガラッと変わってしまいます。
久能山東照宮は神廟まで行って引き返すというルートですが、行きと帰りで違った風景を楽しむことができます。
鳥居を通過した先にある石段を登った先には徳川家康公の遺骸が埋葬されている「神廟」があります。
神廟正面に設置してある灯籠。
こちらも神廟正面にある石段を照らすように両脇に設置されている灯籠。
中央にはお賽銭箱がおいてありました。
そしてこちらが神廟。もともとは小さな祠(ほこら)があったそうですが、3代目の徳川家光によって石の塔が建てられて現在に至るとのこと。
神廟の周りを囲うように積み上げられた石の塔は高さ5.5m、周囲8mとのことで、ここに家康が埋葬されています。
その付近には家康の愛馬も埋葬されているようです。
…というわけで、この神廟が終点(目的地)となっており、徳川家康公が眠る神廟をじっくり堪能したら今まで来た道を戻ります。
来た道を引き返すとは言ったものの、先述の通り行きと帰りでは風景が違って見えるので、帰り道も楽しめます。
長くなってきたのでまたここで一区切りします。