ネットで「布教活動」する人が厳守すべき3の心得

誠意 雑記
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どうもこんにちは、まっしゅです。

インターネットは物理的な距離を超え、1・2クリックで海外に飛べるという非常に画期的なツールであるということは、もはや周知の事実です。

それだけに、自社商品や応援しているもの、信仰しているものなど、ありとあらゆるものを「布教」するために、一個人が持てる宣伝媒体としては最高のツールです。

ただし、この最高のツールは使い方を誤ってしまうと瞬く間に自分が望んだものとは真逆の結果を招く「最悪のツール」になります。

では、どう使えば最高のツールを最高のツールとして使えるのか、考えてみます。

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はじめに

SEO対策とかSNSでのバズとはまた別物です。

インターネットでの戦略としては「検索エンジン最適化(SEO)」がよく言われます。

私も見よう見まねでSEOを意識しながらコンテンツを作成していますが、正直なところ、SEOに関する知識について語るにはまだまだ未熟です。

なのでそちらは詳しい方にお任せします。

サイバー空間

当記事で紹介する「心得」とは、成果が出る・出ない以前に「布教活動」する人ならばやって当然レベルの内容を掲載しています。

そのため、布教活動においてすでに何かしらの成果を得ている人にとっては「そんなの当たり前だよ」と呆れられるレベルの内容です。スポーツで言うなら準備体操の段階です。

しかし、いざネット上の投稿を見ると何かしらの不況活動をしているにもかかわらず、そういった基盤が全く出来てない人が多かったりします。

本来「布教」とは宗教を広めることを指しますが、ここでの「布教」は宗教に限定せず、あらゆるジャンルにおける思想や価値観などを広めるといった意味で使用しています。

「炎上」は簡単にできる。でもいい結果になるとは限らない。

単純にネット上で拡散されまくるという「炎上」的な方法は割と簡単にできます。モラルを逸脱する、或いは反社会的な言動をネット上に投稿すればいい。

ブログのアクセス数や紙面の発行部数を増やしたいという人ならば、そういった手法もアリかもしれません。

しかし、そういった「炎上」になるような内容を拡散・話題にする人は、多くがその事に対して怒りとか反感とか呆れなどネガティブなニュアンスを込めて拡散します。

炎上

政治・経済・外交・宗教・時事ネタ……様々なジャンルにおける「布教」とは、賛同者・支持者を増やすことが最大の目的です。

なので「炎上」と呼ばれるようなネガティブな拡散方法では、賛同者を増やさず、アンチを増やす結果となるでしょう。安直にシェアされまくれば良いというモノではありません。

では、そうならない「賛同者」を増やすための伝え方で私達はどういったことを気を付ければいいのかを考えてみます。

「こうしてほしい」という目的・目標を設定する

その投稿を読んだ人に何をしてもらいたい?

ビジネス本とかハウツー本において紙が磨り減るほど書き記されてきた、いわゆる「目標設定」というものです。

仕事でも本でもありとあらゆる場所で「目標」(あるいはノルマとか言われたりもしますね)という言葉を見たり聞いたりするので「またそれかよ」と思う人も多いかと思います。

しかし、様々な場面で異口同音に言われているのは、これ以上ない「王道」な成功法だということです。

計画

  • 多くの人に知ってもらいたい
  • 署名に一筆頂きたい
  • 政党あるいは政策を支持してほしい
  • 寄付してほしい

……など、第三者にやって頂きたい様々な「目標」があります。

この「目標」がないと途中でおかしな方向に進んだり、回りくどい方法を選んだりして望まぬ結果になってしまいます。

逆に言えば「目標」が決まったら次はその目標を達成するためにはどうすべきかを考えます。

 

自分以外はその事を「どうでもいい」と思っている

目標が決まったら次はその目標をぶつける「相手」のことを考えます。

「多くの人がそう思っている」という考えは捨てる

あなたはそのカテゴリに所属している人なので、「何が大事なのか(良いのか/悪いのか)」を十分理解しています。

しかし、カテゴリに属していない人、いわゆる「どちらでもない人」はハッキリ言って無関心です。あなたが布教したいものが消えて無くなっても「あっそう」レベルです。

そもそも消えたことすら気付かないかもしれません。

そういう人に「~はいいぞ!」と熱弁しても「鬱陶しいな…」と煙たがられるだけです。まさに「馬の耳に念仏」です。

少しでも「不快要素」を排除することに尽力しよう

友人に話したり営業でセールストークをするといった、面と向かってのやり取りならば相手が嫌そうな顔をした瞬間、話題転換して危機的状況を回避できます。

でもネットは不特定多数を相手にしています。誰が見ているかもわかりませんし、見た人がどんな感情を抱くかも全くの未知数です。

そのうえ、相手は1歩でも後ろに下がれば「無関心」から「嫌い」に変わるデリケートな存在。

そういう人たちに何かを伝えるとなれば、まず相手が不快になるだろうというモノを可能な限り排除します。

誹謗中傷・差別発言はもってのほか

投稿が素通りされないように、興味を引くようなフレーズや、時にゴシップ紙が使うような過激なキャッチフレーズを織り交ぜて閲覧者が「なにそれ?」ってなるのを狙うこともあるでしょう。

しかしながら、中には感情に任せて(むしろ感情に全てを奪われて)匿名掲示板などで見かける低次元な罵り合いのように、誹謗中傷が目的なの?と言いたくなるような、極めて見苦しい投稿をされる人もいます。

暗い部屋でのパソコン操作

そこには「憂さ晴らし」といったものや、敵対する人たちを寄せ付けない「排外的」な考えがあるかもしれません。

しかし、目的が「多くの人に(肯定的に)知ってもらう」だとすれば、それは読む人にマイナスイメージを与えるだけで、目的から遠ざかる行為といえます。

ネット上という、相手が見えない空間での発言ですから自覚がないかもしれませんが、いってみれば渋谷の交差点のど真ん中で罵声をあげるようなものだと思ってください。

「肯定的に知ってもらう」というのは、「へぇ、そんな事があったんだ」ではなく、「なるほど。確かにその通りだ」と読者に思ってもらうことです。

とくに政治や経済、外交、宗教などは度々対立が起きてヒートアップしますが、そのせいで一般人にとってマイナスイメージが色濃く染み込んでいるジャンルです。

そういったジャンルの話題では、何よりも「マイナス」を少しでも緩和する努力を怠ってはいけません。

とにかく「わかりやすく」

第三者はその件について全く知らない人たちです。

…いや、ニュースとかで多少知ってる人だっているかもしれませんが、「詳しいことは知らん」が殆どです。

だからこそ「何があったか」、「どうなったか」、「何が良いのか / 悪いか」を極限まで分かりやすく伝えていきます。

わかりやすい内容は既存の賛同者はもちろん、「どちらでもない」という人からも「これは使える」と、拡散されやすくなります。

一朝一夕で出来るようなことではありませんが、相手がどんな文章だったら読みたいかを考えていけばきっと上手くいきます。

「人格」がモノをいう

何が書いてあるか < 誰が書いているか

こと日本人は書いてある内容がどうかより、書いた人がどうなのかを重要視する傾向にあります。

たとえば肩書に「東京大学名誉教授」ってあったらウソでも思わず信じてしまいそうですよね?

まだまだ「肩書き」や「実績」といった、その人が積み重ねてきたブランドを判断材料にする人が多いので、経歴とか実績は大事にしたほうが良いです。

……かといって東大卒とか弁護士みたいな肩書は簡単には得られません。他のものを積み重ねましょう。

プロフィール

また、言わずもがな言葉遣いや内容に品の無い人は「あ、コイツ無理だわ」ってなって即・拒絶されます。当たり前ですよね。関わったらロクな目にあわなさそうですから。

また、プロフィール欄やユーザーネームに「反~」とか「~支持」とか書いてあると、全く関心のない第三者から「うわぁ…」となってしまいます。

アニメやゲームなら良いのですが、政治とか宗教といった何かしらの「思想」の露骨なアピールは一気に入り口を狭めます。

そこは「~について考えています」といったオブラートに包んだ表現に変えておくと良いかもしれません。

ミスった時の対応こそ真価を問われる時

これは思想・ビジネス・趣味……あらゆるジャンルに共通して言えることですが、人間は全知全能ではないので絶対どこかに弱点があって絶対どこかでミスをします。

あの超人無敵な人間チート「ゴルゴ13」ですらミスショットをするくらいです(後に原因を特定してしっかり落とし前をつけました)。

だからこそ、ミス(たとえばデマを根拠にして発信してしまった時)をした時は潔く謝罪すべきです。

誠意

政治資金を私的流用して誰から見ても「真っ黒」な政治家が見苦しく言い訳して逃げ回っていますが、その光景をあなたがどう思ったか。

自分勝手な人や罪を認めない往生際の悪い人が増えたので、逆に「誠実な人」というのはとても価値のある存在で、そういった誠実さは普段の発言でなく、「ミス」という緊急事態で問われます。

なお、相手から口汚く反論されることもあり、「なんであんなヤツに誠意な対応しないといけないの」と思うかもしれませんが、その誠意は口汚く罵ってくる相手にむけるものではなく、そのやり取りを見ている第三者に向けるものだと考えてください。

年甲斐もなくみっともなく罵ってくる人と、それに対して「大人の対応」をする人、どっちが「事情を知らない人」にとって良く見えるか、です。

まとめ

これらが意味するものは「相手を尊重する」という考え方

いかがでしたか?

おそらく「そんなの当たり前じゃん」よりも「まるで社畜だな」とか「そんなんじゃ何も出来ねーよ」と思った人が多いかもしれません。仰るとおりです。

実際のところ、全く興味が無い・存在すら知らないって人を相手に、自分の考えを肯定的に受け止めてもらうというのは「営業」に非常によく似ています。

…というより、商材が自社製品ではなく自分の価値観・思想、報酬が賃金ではなく自分が望んだアクションを相手がとること…という点以外はほぼ営業に似たノウハウが求められます。

握手

なので、相手のことを尊重できない人がいう「お願いします」では、価値観が一致する人ならまだしも、無関心な相手ではまず無理。

リアルな生活、すなわち面と向かってやり取りする場面はともかく、相手の素性が一切わからないネット上では特に。

なお、先にも言いましたが、単純に有名人になりたいとか、ブログのアクセス数を増やしたいって目的ならこんなこと守らなくても簡単に出来ます。

難しいのは「賛同を得る」ということです。

そしてその賛同を勝ち取るために欠かせないのが「相手のことを尊重する」ことです。

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